大判例

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札幌高等裁判所 昭和40年(ネ)104号 判決

控訴人

中央信用組合

右代表者

加藤良雄

右訴訟代理人

林信一

被控訴人

高塚彦七

右訴訟代理人

佳山良三

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事   実(省略)

理由

本件家屋(省略)が、もと訴外本間光司の所有であったこと、右家屋につき訴外東京近富水産株式会社(近富水産)が昭和三〇年一一月三〇日札幌法務局古平出張所受付第三五〇号をもって登記された、原因昭和三〇年一一月二〇日付金銭消費貸借についての同日付抵当権設定契約、債権額金三〇〇万円、弁済期昭和三一年五月三〇日なる抵当権(本件抵当権)を有し、同じく被控訴人が同出張所受付昭和三二年八月二六日第四一三号をもって登記された昭和三二年八月二三日付抵当権設定契約による、債権額金一八〇万円、弁済期昭和三三年一月二五日、利息日歩四銭、利息支払期毎月末日、遅延損害金日歩八銭なる抵当権(被控訴人の抵当権)を有していたこと、昭和三五年四月頃本件抵当権につき近富水産から控訴人へ移転の登記がなされたこと、被控訴人は控訴人を被告として本件抵当権の抹消登記手続を求める訴を札幌地方裁判所小樽支部に提起し(同裁判所昭和三五年(ワ)第二二五号事件)、昭和三七年五月二九日被控訴人の請求を認容する旨の判決がなされ、該判決は一審かぎりで確定したことはいずれも当事者間に争いがない。

しかして被控訴人が前記訴訟につき弁護士佳山良三を訴訟代理人に委任して訴訟を追行させたことは控訴人の明らかに争わないところであり、原審証人田村千代治の証言およびこれにより成立の真正を認め得る甲第四ないし第六号証ならびに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、被控訴人は同弁護士に対し訴訟費用見積額ならびに手数料(いわゆる着手金)金一〇万円、東京地裁での証人尋問のための出張費用金五万円を支払ったほか報酬金二八万円を請求され、その一部を支払い残額は支払猶予を受けていることをそれぞれ認めることができる。

二 被控訴人は、控訴人は故意又は過失により本件抵当権について不実の登記をなし、被訴控人が右登記の抹消登記手続を求めるため弁護士に依頼して訴を提起したところ、控訴人は右訴訟においてあくまでも抗争し、被控訴人に対し、前記弁護士に対し支払い又は支払うべき手数料その他の費用ならびに報酬額相当の損害を被らしめたものであると主張するので判断する。

民事訴訟は私人間の法律的紛争を裁判所の判決によって公権的に確定し、その解決調整を図るものであり、その法律的紛争は法律の解釈またはその前提たる事実の確定についての争いであって、このような紛争が生ずるのは、現在の複雑な生活関係や法律制度のもとにおいて通常人の常識的判断のみによっては解決し得ない場合が多いからである。裁判所に出訴する権利は憲法上保障された国民の基本的権利であるし、被告として応訴することについてもその関係は同一である。しかしながら、訴訟は誠実に行なわなければならないものであり、みずからの不法の行為によって相手方に訴の提起を余儀なくさせ又は通常人として当該事件を事実面および法律面から調査し、その応訴が理由のないことを知り得べきであるのに、その注意義務を尽さず、事を構えてあくまでも抗争する等起訴の誘発ないしは応訴行為自体が公の秩序善良の風俗に反するような場合は民法上の不法行為を構成し、これによって相手方が出費を余儀なくされた弁護士に対する手数料、その他の費用および報酬額の賠償をしなければならないものというべきである。

三 そこで本件の事実関係について検討するに、証拠(省略)によると次の各事実を認めることができる。

(一)  本件家屋は亡本間権平の所有であり、権平が昭和三四年に死亡し、同人の子本間光司が相続によりその所有権を取得したものであるところ、亡権平はその存命中の昭和三〇年頃近富水産に対して負担する金三〇〇万円の債務を担保するため順位一番の本件抵当権を設定し、ついで昭和三二年に、被控訴人に対して負担する債務を担保するため順位二番の「被控訴人の抵当権」を設定したところ、近富水産に対する債務は逐次返済され、昭和三五年四月当時その残額は金五万五〇〇〇円位となっていた。

(二)  訴外仲谷正男は冷凍機械の製造販売を営む株式会社旭堂の代表取締役であり、昭和三三年以来控訴人組合の山鼻支店から金融を受けていたが、その業績は芳しくなかったので、昭和三四年頃から同支店長白川定信に対し更に融資方を申し入れていたところ、白川は担保物件があれば貸出しも可能である旨の回答をした。そこで仲谷は適当な担保物件を入手すべく、昭和三五年初め頃、自己の旧友である本間光司所有の本件家屋(仲谷の営業と同様の冷凍機械製造の工場施設であるが、当時すでに休業中であったし、仲谷としては本間に設備資金として貸しつけた四、五〇万円位の焦げつき債権があった。)を買い受ける交渉を進める一方、右家屋の登記簿謄本を前記山鼻支店に持参して右物件を担保とする金六〇〇万円の融資を申し入れた。

(三)  同支店長白川定信は本件家屋に本件抵当権と「被控訴人の抵当権」が付着しているから、この両抵当権を消滅させ控訴人のため順位一番の抵当権を確保することができるなら融資してもよい旨答えた。これに対し仲谷は順位一番の本件抵当権は債務残額が僅かであるから直ちに消滅せしめ得るし、融資を受けられるならその資金によって本件家屋を冷凍工場として稼働させて収益をあげ、順位二番の被控訴人の抵当権をも消滅せしめ得るといい、白川としても仲谷に対する従前の貸付金の回収に苦慮していたところから、仲谷の申出に乗気となり、近富水産に残債務を弁済して債権とともに抵当権の譲渡を受ければ順位一番の抵当権を確保することができるうえに、仲谷に対し追加貸付をすることにより順位二番の被控訴人の抵当権をも消滅させ、控訴人の貸付金の回収を容易ならしめ得るであろうと考え、貸付の内諾を与えた。

(四)  そこで仲谷は急拠本間と本件家屋売買の契約を締結し、昭和三五年三月二九日本件家屋につき所有権移転登記を受けるとともに、本間に対し東京都に急行して近富水産(東京都所在)に本間の債務残額を弁済し、本件抵当権の移転登記手続に必要な委任状等の書類を貰ってくるように頼み、株式会社旭堂の従業員で経理担当の原田一郎を同行させることとした。かくて仲谷は取敢えず前記白川から交付を受けた金二〇万円位を近富水産に対する債務弁済のための資金として本間に預託し、原田は近富水産から受領すべき委任状として本件抵当権設定登記の抹消登記手続を委任する旨記載した書面と、本件抵当権を債権とともに控訴人に譲渡したことによる抵当権移転の附記登記手続を委任する旨記載した書面とをあらかじめ作成して携行し、同年四月四日両名ともに近富水産に赴き代表取締役田所富男に面接して本間から近富水産に対する残債務全額金五万五〇〇〇円を弁済した。その際本間は田所に対し事の次第を説明し、本件抵当権を債権とともに控訴人に譲渡し、本件抵当権につき控訴人への移転登記手続をするについての承諾を求め、原田の携行した委任状と題する書面のうち本件抵当権の移転登記手続に関する委任文言を記載した分に近富水産代表取締役田所富男の押印を求めたところ、田所は委細を承知して右書面に押印をし、近富水産の商業登記簿抄本および印鑑証明書とともに本間に交付した。

(五)  かくて仲谷は近富水産の前記委任状を控訴人の山鼻支店長白川定信のもとに持参し、近富水産からこのとおりの承諾を得たし、被控訴人の抵当権については金八〇万円程度の支払いで消滅させることができる旨を述べて融資方を要請したので、白川はこれを信じて右委任状等により同年四月八日本件抵当権につき控訴人に移転の登記手続をするとともに、仲谷に対し金六〇〇万円の貸付をし、右貸付金のうちから旧債務の弁済をさせ、結局金二五〇万円程度が仲谷の手に残ることとなった。なおそのころ控訴人は本件家屋につき別個に順位第三番、債権額一〇〇〇万円の抵当権設定登記を受け、また一方仲谷は被控訴人に対し債権を五、六〇万円程度に減額してくれれば直ちに支払うから抵当権の抹消登記をしてくれるようにと申入れたが、被控訴人の容れるところとならず、結局被控訴人の抵当権は抹消されないままとなった。

(六)  被控訴人は同年秋頃に至り本件抵当権が近富水産から控訴人へ移転登記された事実を知り、かつ本件抵当権の被担保債権は全額弁済されている事実を確知したので、佳山弁護士に事件の処理を委任した。そして同弁護士は委任の趣旨にもとづき同年九月二八日付内容証明郵便をもって控訴人に対し、控訴人のためになされた本件抵当権の移転登記は近富水産から交付された右抵当権の抹消登記手続のための白紙委任状を冒用してなされたもので被控訴人の抵当権を侵害する不法のものであるから、同年一〇月八日までに抹消登記手続をせよとの催告をなし、右郵便はその頃控訴人に到達した。

(七)  控訴人組合の幹部は山鼻支店長たる白川からこの件につき何の報告も受けていなかったので、本店の担当係員に命じて調査に当らせたところ、白川は近富水産から適法に本件抵当権の譲渡を受けたものであって不正の事実はないと主張するし、仲谷正男、原田一郎にも面接して調査した結果も同趣旨の回答であり、更に控訴人組合の理事長らが本件家屋を実地に調査する一方、本間光司にも面接して事情を確かめたが、少なくとも委任状冒用に関する不正はないとの結論に達し、なお近富水産の債権が僅少であるにしても残存していた以上、これを弁済することにより抵当権の譲渡を受けることは有効であるとの見解を得たので、前記佳山弁護士からの催告には何ら回答せず放置しておいたところ、まもなく前記の抵当権設定登記等抹消登記請求訴訟が提起された。

(八)  控訴人としては右訴訟に応訴するか、あるいは被控訴人の請求を認めるかについて内部で検討した結果、前記のような事実関係の調査にもとづく法律的判断のうえに立ち、なおかつ控訴人組合は中小企業等協同組合法に基づき設立された法人であり、監督官庁の監査を受けることになっている係関上、自己の一方的判断で被控訴人の請求に応ずることは相当でなく、裁判所の判決によって被控訴人の請求の当否を判断して貰うことが相当であるとして、右訴訟に応訴する方針を決定し、弁護士林信一に訴訟を委任した。

(九)  林弁護士は事実関係を調査したうえ、大要次のとおりの主張ならびに抗弁を提出して被控訴人の請求の理由のないことを主張した。すなわち(イ)近富水産は本件抵当権を控訴人に譲渡することを承諾した。(ロ)近富水産は本件抵当権の抹消登記手続をする代理権を本間光司に委任し、本間はこれを仲谷に委任した、仲谷は代理権の範囲を超えて本件抵当権を控訴人に譲渡する契約を締結したが、控訴人は仲谷にその代理権ありと信じ、かつ信ずべき正当の理由があった。(ハ)本件抵当権付債権譲渡につき債務者たる本間は異議を止めず承諾した。よって金三〇〇万円の抵当権は復活したものというべく、被控訴人の抵当権はもともと第二順位であり、第一順位の金三〇〇万円の抵当権が存在していたのであるから、これにより被控訴人は何ら失うところはない。

(十)  しかるところ前認定のとおり右訴訟において控訴人は敗訴したが、右訴訟の係属中の昭和三六年中に白川定信らの不正融資が刑事事件にまで発展し、控訴人の経理につき北海道知事の摘発検査が行なわれ、結局同年一二月に理事長以下の幹部が引責辞職し、新理事者によって事後処理が行なわれていたので、右敗訴判決に対しても控訴してまで争う意欲を失い、右判決を確定させるに至った。

以上の各事実を認めることができる。(排斥証拠省略)

四 以上認定の事実に徴するときは、控訴人の山鼻支店長白川定信と仲谷との間に新規貸付の交渉がなされていた当時には、たとえ僅少とはいえ本件抵当権の被担保債権は残存していたものであるから、右抵当権はいまだ消滅したものではなく、本間が近富水産に弁済した金五万五〇〇〇円は控訴人が出金して本間に預託したものであり(この金額は、のちに控訴人と仲谷との間になされた新規貸付に際して精算されたものと推認される。)、右残存債権の弁済は控訴人から仲谷に対する新規貸付を前提としてなされたものというべきであるから、実質的には控訴人が第三者として弁済し、債権者近富水産に代位したか、または抵当権付債権を買い受けたものと見る余地もあるし、そうだとすれば少なくとも残存債権の範囲内で本件抵当権は控訴人に移転したことになる。また本件抵当権が消滅しないと解するにつき前記訴訟における控訴人の(ハ)の抗弁を支持する有力な学説(我妻栄、担保物権法九一三頁)が存することも当裁判所に顕著である。

このように見てくると、控訴人が前記訴訟に応訴したことについては、通常人として応訴が理由のないことを知り得べきであるのに、その注意義務を尽さなかったというには当らず、むしろ控訴人に勝訴の見込みがないわけではなかったことになるし、控訴人が本件抵当権の移転登記を受けたことによって被控訴人の起訴を誘発したことについても、控訴人または控訴人の代理人たる白川定信に故意または過失があったとすることはできないから本件にあっては控訴人が被控訴人に訴を提起させるに至った行為およびこれに応訴した行為をもって不法行為を構成するものと認めるべき証拠は十分でないといわざるを得ない。またこの訴訟において控訴人が理由なく引延しをはかる等応訴の態度に不法な点があったことを認めるべき資料も存在しない。

五 以上のとおりであるから被控訴人の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく失当として排斥すべきものであり、これと異なる認定および判断のもとに被控訴人の請求を認容した原判決は相当でなく、本件控訴は理由があるから、民事訴訟法第三八六条により原判決を取り消し、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九九条、第八九条に従い主文のとおり判決する。(杉山孝 田中恒朗 島田礼介)

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